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穂高で命の洗濯


今年も戻ってきました。

今や心のふるさと。安曇野…穂高…。

8月末、台風10号の動きに翻弄されて行けるかどうか?

でも、行かない選択はありませんでした。

お天気は思いの他大丈夫で、二日目の後半は雨でしたが、それも良かったです。


3度目の穂高養生園。

初めての一昨年はめいっぱい楽しむことや美味しいマクロビ料理に心を奪われ、

昨年はお猿さんとの遭遇が印象的。

この時はちょうど秋に発刊予定の著作本の初校を校正しなくてはならず、

一式持ち込んでの校正作業に時間を使いました。


今年はそのような縛りもなくて、ただただ暑い夏の疲れを癒すだけのリトリート。

半日以上雨が降ったこともあり、やることが何もない時間。

日常の世界でしたら家の中で普段できない片付けや掃除など、やることは山ほどあります。

でも、ここは非日常の世界。

読む本は持参したものの、なぜか読む気になれず、養生園の小さな書棚を眺めました。

マクロビオティック料理の本、自然の山や里の本、小説などひと通り眺めた後、

普段だったら絶対に手に取らない本に目が留まりました。

「タオ(Tao—道)」という中国の思想家、老子の本です。

なぜかタイトルに魅かれてページを開いてみると、口語体で実に読みやすく、わかりやすい解釈で人の道が示されていました。

いくつかの心に残る章の中から、今回の穂高滞在であらためて心に沁みた言葉を抜粋してお届けします。(タオ——老子・加島祥造著・ちくま文庫)




16章 静けさに帰る

虚(うつろ)とは

受け入れる能力を言うんだ。

目に見えない大いなる流れを

受け入れるには

虚(うつろ)で、

静かな心でいることだ。


静かで空虚(うつろ)な心には、

いままで映らなかったイメージが見えてくる。

萬物は

生まれ、育ち、活動するが

すべては元の根に帰ってゆく。

それは、静けさにもどることだ。

水の行く先は—海

草木の行く先は—大地

いずれも静かなところだ。

すべてのものは大いなる流れに従って

定めのところに帰る。

(そして、おお、

再び甦るのを待つ。)


それを知ることが智慧であり

知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。

いずれはあの静けさに帰り

甦るのを待つのだと知ったら

心だって広くなるじゃないか。

心が広くなれば

悠々とした態度になるじゃないか。

そうなれば、時には

空を仰いで、

天と話す気になるじゃないか。

天と地をめぐって動く命の流れを

静かに受け入れてごらん、

自分の身の上をくよくよするなんて

ちょっと馬鹿らしくなるよ。


日常から離れた空間で、何もしないで体を横たえる。

大自然に包まれながら、自分の体に耳を澄ますと

外に広がる大自然も、内なる自然も同じように愛おしく感じられます。

何もしないで静けさにひたる時間を過ごすこと、

今ここにいる自分を感じること…マインドフルネス。

まさに命の洗濯で、心と体にため込んだサビを流すことができた旅でした。







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